コロナとの闘いは戦争ではない。2020年04月05日 18:53

イタリアでは、外出禁止令が出てから既に3週間以上が過ぎている。
そんな中、ローマに住む友人たちのwhatsappでのメッセージのやり取りがいつもより盛んになっている。
なるべく、こまめに読んでいるのだが、外に出られないことでのストレスや今後の仕事(イタリアは観光の国なので、観光業に携わっている友人も多い)への不安なども語られている。
僕の友人たちは、1980年代にアメリカによるNATOへの巡航ミサイル配備に反対していた平和運動のメンバーだった連中で、当時は彼らはティーンエイジャーだったわけなのだが、50代になった今でも、政治、あるいは世の中の動きに対する視点は、しっかりしている。
だからこそ、彼らのメッセージは、イタリアの現状を伝える重要な情報だと思っている。
イタリア政府も他の国の政府と同様に、コロナに対する取り組みを、戦争に例えてることが多い。
コロナと戦って勝利しなければならないって論調である。
でも、コロナと戦うには、銃火器は役に立たない。アメリカでは、コロナの感染が広がるに連れて、銃を購入する人が増えているという報道もあったが、全くのナンセンスだ。
一方イタリアでは、コロナの影響により、経済活動が停止する中で、北部の軍需産業の工場は可動し続けているという。コロナの感染が特に深刻な北部では、例えば有名な銃であるベレッタなどを生産している。
観光産業が交代する中で、軍需産業だけは生産を続けているっていうのも、なんだか恐ろしい気がする。
だからこそであるのかもしれないけれど、コロナ対策に関して、軍事用語を使わないようにしようと言う動きが出てきている。
こういった用語を使うのは、為政者であり、一般の市民がそれに煽られてしまうのはまずいと思う。
安倍政権も、コロナ対策を隠れ蓑にして、国民の人権を制限しようという動きや、憲法改正をドサクサに紛れてやってしまおうと考えているらしい動きが見られるようだ。
コロナによる感染がパンデミックになったことで、国境も政府も、今ままでの経済のあり方も、意味をなさなくなってきている現在、向かうべき先としては、戦争に例えてコロナと戦うことではなく、相互扶助と人道出来支援によって、この世界的な危機を乗り越えることであると思うし、同時にまた、経済活動が停滞することで、自然環境が回復する兆しが見えているってことを考えると、コロナ以後の人間社会(経済活動や政治的な争い)のあり方を、考えなくてはならないのではないかと思っている。

サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリがタイムに寄稿した文章フリッチョフ・カプラとヘイゼル・ヘンダーソンがネットで公開した文章(イタリア語だけど)などが参考になるかもしれない。

単なる個人の思いだけでは、世の中は変わらないのだけれど、現在の各国のリーダーたち、特にトランプや安倍が、人々のためになるようなリーダーシップを取ることができていない現状を目の当たりにすると、もしかしたら、個々人の思いを、今までの政治システムとは違う形で、集約し、政治的決定を行えるような新しい「なにか」が、必要になってきているのではないかと思っている。
イタリアでは、もしかしたら、その兆しだったのかもしれないサルディーネ(イワシ)運動が、コロナ感染の直前に動き始めていた。
小さなイワシが、大きな魚を取り囲むっていう絵が名前の由来のようだ。
これは、ある意味、強いリーダーシップを持った人物が、国を率いるという構図が、崩壊し始めているってことを暗示しているようにも見える。

多分、これから日本は、ますますやばい状況になっていくような気がしているのだけれど、幸運にして、イタリアやアメリカのような深刻な状態にならなかったとしても、世界全体で見れば、既存のシステムが機能不全に陥るであろうことは、容易に想像できるので、コロナ以降の世界の仕組みについて考えていかなければならないのではないかと思っている。


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