新型コロナ 経済優先で大丈夫? ― 2020年05月02日 20:20
昨日、メキシコの歌手オスカー・チャベスがコロナで亡くなったという話を書いたのだけれど、メキシコでの新型コロナの汚染拡大がかなり深刻になっているようだ。
日本のマスメディアでは、あまり報じられていないし、ヨーロッパでの感染が落ち着いてきて、経済活動再開へ向けての動きばかりが強調されて報道されているように思うのだけれど、それで本当に大丈夫なのかと思っている。
ロイターのスペイン語版のサイトによると、メキシコでは一週間あまりで、感染者数と死者数が2倍になったと報じられている。その記事によると、今のメキシコでの感染者数は、20739人で、死者数は1972人とある。既に日本を超えている。
メキシコ人の友人とのチャットでは、メキシコはフェーズ3の状況になっているという。メキシコにおけるフェース3がどういうものなのかは、具体的にはわからないが、皆、家にいるようだ。
日本ではなかなか報じられない、ラテンアメリカやアフリカの状況が気がかりで、ちょっとネットで知られてみたら、こんなサイトがあった。
Our World in Dataというサイトで、そこに新型コロナの世界における感染状況があった。英文なんだけど、グラフを多く使っていて、見ればすぐにわかるようになっている。
国別の感染者数をクリックすると、Total confirmed cases: how rapidly have they increased compared to other countries?(国別の感染状況の増加)を示したグラフを見ることができる。
多くの国が一つのグラフになっているので、かなり見づらいが、グラフの左下にSelect countriesというのがあって、そこで自分の見たい国を選択することができる。
下にスクロールしていくと。Daily confirmed cases: are we bending the curve?というグラフもあって、どの国がピークを過ぎたのかも見られる。
これも、右下で見たい国が選べるので、ラテンアメリカやアフリカの国と、ヨーロッパの国にチェックを入れて比較してみると、例えばブラジルやメキシコは、感染者数が増え続けているのがわかる。
同様に死者数のページを開くとTotal confirmed deaths: how rapidly have they increased compared to other countries?(死者数がどれだけ急速に増加したか)っていうグラフがあって、これも国を選べるので、気になる国を見ることができる。ここで、気になるのは、イタリアやアメリカは伸びのカーブが緩やかになっているのだけれど、ブラジルやメキシコは伸び続ける感じだし、日本のカーブもまだピークは迎えていないことが見て取れる。
じゃあ検査の状況はどうなっているのかってページを見ると、どこを探しても日本は出てこない。
検査総数のグラフでは、アメリカが一番多くやっていて、その次がイタリア。一日あたりの検査数では、インドが1位で、イギリスが2位。人口1000人あたりの検査数では、アイスランドが1位で、ストとニアが2位。
こんな状況で、経済優先の政策をとって、大丈夫なのかしらん?と思ってしまう。
今は、日本全体の経済がどうのこうのより、この事態を乗り切るための、休業補償とか、困窮者への財政給付とかそういったことをやらないと、日本という国自体がやばいことになりそうな気がする。
自分も有権者ではあるのだけれど、日本の政治ってどうなっているんだんろう?
政治家を選んだ国民の責任であるってことは、確かなのだけれど、少なくとも僕自身は、自民党に投票したことはない。じゃあ野党はどうなの?ってことになるのだけれど、いやーこれも情けない。
コロナ後の選挙がどうなるかわからないけれど、日本の民主主義のあり方事態がパラダイムシフトを迎えているような気もする。
これはなにも、日本だけじゃないわけで、アメリカの大統領選挙だって、同じことなのかもしれない。
ちょっと衝撃 ― 2020年04月09日 18:11
コロナとの闘いは戦争ではない。 ― 2020年04月05日 18:53
イタリアでは、外出禁止令が出てから既に3週間以上が過ぎている。
そんな中、ローマに住む友人たちのwhatsappでのメッセージのやり取りがいつもより盛んになっている。
なるべく、こまめに読んでいるのだが、外に出られないことでのストレスや今後の仕事(イタリアは観光の国なので、観光業に携わっている友人も多い)への不安なども語られている。
僕の友人たちは、1980年代にアメリカによるNATOへの巡航ミサイル配備に反対していた平和運動のメンバーだった連中で、当時は彼らはティーンエイジャーだったわけなのだが、50代になった今でも、政治、あるいは世の中の動きに対する視点は、しっかりしている。
だからこそ、彼らのメッセージは、イタリアの現状を伝える重要な情報だと思っている。
イタリア政府も他の国の政府と同様に、コロナに対する取り組みを、戦争に例えてることが多い。
コロナと戦って勝利しなければならないって論調である。
でも、コロナと戦うには、銃火器は役に立たない。アメリカでは、コロナの感染が広がるに連れて、銃を購入する人が増えているという報道もあったが、全くのナンセンスだ。
一方イタリアでは、コロナの影響により、経済活動が停止する中で、北部の軍需産業の工場は可動し続けているという。コロナの感染が特に深刻な北部では、例えば有名な銃であるベレッタなどを生産している。
観光産業が交代する中で、軍需産業だけは生産を続けているっていうのも、なんだか恐ろしい気がする。
だからこそであるのかもしれないけれど、コロナ対策に関して、軍事用語を使わないようにしようと言う動きが出てきている。
こういった用語を使うのは、為政者であり、一般の市民がそれに煽られてしまうのはまずいと思う。
安倍政権も、コロナ対策を隠れ蓑にして、国民の人権を制限しようという動きや、憲法改正をドサクサに紛れてやってしまおうと考えているらしい動きが見られるようだ。
コロナによる感染がパンデミックになったことで、国境も政府も、今ままでの経済のあり方も、意味をなさなくなってきている現在、向かうべき先としては、戦争に例えてコロナと戦うことではなく、相互扶助と人道出来支援によって、この世界的な危機を乗り越えることであると思うし、同時にまた、経済活動が停滞することで、自然環境が回復する兆しが見えているってことを考えると、コロナ以後の人間社会(経済活動や政治的な争い)のあり方を、考えなくてはならないのではないかと思っている。
サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリがタイムに寄稿した文章やフリッチョフ・カプラとヘイゼル・ヘンダーソンがネットで公開した文章(イタリア語だけど)などが参考になるかもしれない。
単なる個人の思いだけでは、世の中は変わらないのだけれど、現在の各国のリーダーたち、特にトランプや安倍が、人々のためになるようなリーダーシップを取ることができていない現状を目の当たりにすると、もしかしたら、個々人の思いを、今までの政治システムとは違う形で、集約し、政治的決定を行えるような新しい「なにか」が、必要になってきているのではないかと思っている。
イタリアでは、もしかしたら、その兆しだったのかもしれないサルディーネ(イワシ)運動が、コロナ感染の直前に動き始めていた。
小さなイワシが、大きな魚を取り囲むっていう絵が名前の由来のようだ。
これは、ある意味、強いリーダーシップを持った人物が、国を率いるという構図が、崩壊し始めているってことを暗示しているようにも見える。
多分、これから日本は、ますますやばい状況になっていくような気がしているのだけれど、幸運にして、イタリアやアメリカのような深刻な状態にならなかったとしても、世界全体で見れば、既存のシステムが機能不全に陥るであろうことは、容易に想像できるので、コロナ以降の世界の仕組みについて考えていかなければならないのではないかと思っている。
地球市民の時代が近づいているのかな? ― 2019年09月16日 13:57
先日、今働いている職場で、僕が今度メキシコに行くことを話すと、「そういえばなんとなくメキシコ人っぽいよね」と言われた。
もう40年近く前にメキシコに1年滞在したことがある。メキシコシティ近郊の街にあったホストファミリーにお世話になっていて、その街で初めての日本食レストランが開店するってことで、日本人だった僕は、そのオープニングパティーに招待されたことがある。
当時、ユカタン半島を巡って戻ったばかりだった僕は、真っ黒に日焼けしており、穴の空いたくたびれたジーンズを履いて出席したのだが、一緒に行ったメキシコ人の友人とスペイン語で話していて、何かの拍子に日本人と日本語で会話したら、そのすぐ隣りにいた日本人から「日本人だったんですか!」と驚かれたことがある。メキシコ人と間違われていたのだ。
その後、イタリアに2年ほど滞在することになり、イタリア語のレッスンを受けていた時、スペイン語とイタリア語は似ているので、僕はしばしば混乱して間違えたのだが、一緒にいたメキシコ人の友人から「おまえはイタニョールを話すんだな」と笑われたことがあった。
日本では未だに英語教育を重視しているけれど、日本の外では、今やポリグロットが普通になってきているようだ。
ついこの間も、僕がメキシコとイタリアに行ったときに世話になった留学団体の集まりがあって、久しぶりに参加して、現在来日している留学生と話をした。スイスから来ているという2人の女の子と話をしたのだが、一人は母親がイタリア人で父親がドイツ人。もう一人はスペインとウルグアイの両親を持ち、スイスに住んでいるとのことだった。
まずは、一人とイタリア語で話し出すと、もう一人の子もイタリア語がわかるという。母方の祖父母がイタリア出身で、話せはしないけれど理解はできるという。日本人である僕がイタリア語で話、スイス人である彼女がスペイン語で話して会話が成り立つという奇妙な状況となった。
地球市民という言葉がかつて流行ったことがあるが、理想やアイデアとしての言葉ではなく、現実的に様々な言葉でコミュニケーションが成立するような人々が、どんどん増えているのかもしれない。
そういった意識の変革の大きな要因として、国にこだわっていては解決できない地球規模での変動があるような気がしている。
日本ではほとんど語られていないが、フライデーズ・フォー・フューチャーという運動がある。
これは、スェーデンの少女グレタ・トゥーンベリが呼びかけて始まった運動で、世界的な広がりを見せている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AA
https://www.fridaysforfuture.org
大型台風が次々と上陸するようになってきている日本にとって、アマゾンの森林火災も対岸の火事ではないってことだ。
イタリアで感じたことでもあるのだけれど、多くのイタリア人の友人たちが、プラスチックをどうしたら減らせるのか日常生活の中で気を使っていた。友人が経営する有機農場の生産品は、プラスチックの袋に入れて、真空パックすることで鮮度を保っていたりするのだが、顧客の中には、まだプラスチックを使っているのかとクレームをつける人もいるという。プラスチックを使わずにどのように鮮度を保つことができるのか、いろいろと調べているところらしい。
僕が、日本では余ったご飯をラップでくるんで冷凍し、電子レンジで解凍して食べるって話をしたら、白い目で見られた。確かに、イタリアでは電子レンジはそれほど普及していないし、冷凍食品とか、レトルト食品はある意味非常用の食材で、日常的にはきちんと料理することが当たり前なのだ。
この夏も暑くて、ペットボトルの飲み物をどれくらい消費しただろうかと僕自身後ろめたい気持ちもありながら、最近は水筒を買って、なるべくペットボトルは買わないようにしている。
冷凍食品はほとんど食べないし、カップラーメンも数カ月に1回程度しか食べないが、日本人のほとんどそういったことを意識したことはないのかもしれない。
ちょっと外に目を向けると、日本という国が、世界から置いてけぼりを食っている状況になってきているように思う。それは、環境問題だけでなく、移民の問題とか社会制度の問題も含めてなのだけれど、、、
もう40年近く前にメキシコに1年滞在したことがある。メキシコシティ近郊の街にあったホストファミリーにお世話になっていて、その街で初めての日本食レストランが開店するってことで、日本人だった僕は、そのオープニングパティーに招待されたことがある。
当時、ユカタン半島を巡って戻ったばかりだった僕は、真っ黒に日焼けしており、穴の空いたくたびれたジーンズを履いて出席したのだが、一緒に行ったメキシコ人の友人とスペイン語で話していて、何かの拍子に日本人と日本語で会話したら、そのすぐ隣りにいた日本人から「日本人だったんですか!」と驚かれたことがある。メキシコ人と間違われていたのだ。
その後、イタリアに2年ほど滞在することになり、イタリア語のレッスンを受けていた時、スペイン語とイタリア語は似ているので、僕はしばしば混乱して間違えたのだが、一緒にいたメキシコ人の友人から「おまえはイタニョールを話すんだな」と笑われたことがあった。
日本では未だに英語教育を重視しているけれど、日本の外では、今やポリグロットが普通になってきているようだ。
ついこの間も、僕がメキシコとイタリアに行ったときに世話になった留学団体の集まりがあって、久しぶりに参加して、現在来日している留学生と話をした。スイスから来ているという2人の女の子と話をしたのだが、一人は母親がイタリア人で父親がドイツ人。もう一人はスペインとウルグアイの両親を持ち、スイスに住んでいるとのことだった。
まずは、一人とイタリア語で話し出すと、もう一人の子もイタリア語がわかるという。母方の祖父母がイタリア出身で、話せはしないけれど理解はできるという。日本人である僕がイタリア語で話、スイス人である彼女がスペイン語で話して会話が成り立つという奇妙な状況となった。
地球市民という言葉がかつて流行ったことがあるが、理想やアイデアとしての言葉ではなく、現実的に様々な言葉でコミュニケーションが成立するような人々が、どんどん増えているのかもしれない。
そういった意識の変革の大きな要因として、国にこだわっていては解決できない地球規模での変動があるような気がしている。
日本ではほとんど語られていないが、フライデーズ・フォー・フューチャーという運動がある。
これは、スェーデンの少女グレタ・トゥーンベリが呼びかけて始まった運動で、世界的な広がりを見せている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AA
https://www.fridaysforfuture.org
大型台風が次々と上陸するようになってきている日本にとって、アマゾンの森林火災も対岸の火事ではないってことだ。
イタリアで感じたことでもあるのだけれど、多くのイタリア人の友人たちが、プラスチックをどうしたら減らせるのか日常生活の中で気を使っていた。友人が経営する有機農場の生産品は、プラスチックの袋に入れて、真空パックすることで鮮度を保っていたりするのだが、顧客の中には、まだプラスチックを使っているのかとクレームをつける人もいるという。プラスチックを使わずにどのように鮮度を保つことができるのか、いろいろと調べているところらしい。
僕が、日本では余ったご飯をラップでくるんで冷凍し、電子レンジで解凍して食べるって話をしたら、白い目で見られた。確かに、イタリアでは電子レンジはそれほど普及していないし、冷凍食品とか、レトルト食品はある意味非常用の食材で、日常的にはきちんと料理することが当たり前なのだ。
この夏も暑くて、ペットボトルの飲み物をどれくらい消費しただろうかと僕自身後ろめたい気持ちもありながら、最近は水筒を買って、なるべくペットボトルは買わないようにしている。
冷凍食品はほとんど食べないし、カップラーメンも数カ月に1回程度しか食べないが、日本人のほとんどそういったことを意識したことはないのかもしれない。
ちょっと外に目を向けると、日本という国が、世界から置いてけぼりを食っている状況になってきているように思う。それは、環境問題だけでなく、移民の問題とか社会制度の問題も含めてなのだけれど、、、
心機一転ブログ再開 ― 2019年06月03日 11:47
そもそもからして、ブログを再開しても、誰が読んでくれるの?っていうのはある。でも、ネットにアップするってことは、誰かしらの目に留まるかもしれないってことで、一応、前置きというか、これまでの経緯というか、以前やっていたブログを中断した理由とか、へぇーこんな人のブログなんだってことがわかるような説明は、あるに越したことはないと思うので、再開に当たって少しだけ、書いておこうと思う。
まず最初に、このブログは、以前やっていたブログから引越ししての再開であるということだ。
以前のブログは、ここにまだ、残っている。
http://tady.seesaa.net/
今では、ツィッターもあるし、フェイスブックもあるし、日本ではLINEが、海外の友人たちとはWhatsappがあるので、何を今更ブログなのっていう思いもあるのだけれど、大量にアップロードされ、日々流れていってしまう情報形態よりも、ある程度簡易に、過去の情報まで見ることができるブログのほうが、僕には合っているのかなと思っている。
ネットに情報を発信するということは、なんらかの目的があって行うことだと思う。ネットを見る人たちの誰かしらに、見てもらえて、何らかの役に立つ情報を上げられればいいなぁーとは思っているが、ある意味、自己満足的なものでもあることは、否めない。だから、記事の内容も、更新頻度も、マイペースでやっていこうと思っている。
ブログっていうのが流行りだした頃、僕もブログを書いていたことがある。上にURLを載せたけど、そのサイトは、今もまだネット上に残っていて、それを見ると2005年6月に初めて、2011年11月まで書いていた。
ブログの更新を止めた理由は、東日本大震災と福島の原発事故にある。直接的な関わりがあったわけではないのだが、当時、災害のあまりの大きさに、無力感を抱いてしまい、どうでもいいようなことをブログに書き続けることになんとなく罪悪感を感じていたし、また、記事を書こうという意欲も無くなっていったという記憶がある。
同時にまた、これといった変化のない日常を過ごしており、記事にするネタが枯渇しつつあったことも理由の一つだと思う。
さて、再度ブログを書こうかなって気持ちになったのは、この間いろいろあって、自分の人生のひとつの節目を迎えたように感じるからだ。
父親が亡くなってから20年余り同居生活をしていた母親が一昨年に他界した。僕は独身なので、母親の面倒を見るのは、同居人の僕しかいなかったってことだ。
亡くなる前の一年ほどは、いわゆる介護退職ってやつで、仕事を止めて在宅介護を行なった。18年前、それほど重い後遺症は残らなかったものの、母親が脳梗塞で倒れたことをきっかけに、いずれ必要になると思い、介護のスキルを学ぶために、介護の仕事に転職したのだが、いざ、身内の介護を自宅で行うとなると、難しい局面もあり、全く悔いがないような介護ができたかというと、その逆で、ああしてあげればよかったとか、こうしておけばよかったのにとか、後悔の思いは残っている。
一方で、母親の死によって、解放されたという思いもある。母親が倒れてからは、仕事の夜勤で家を空けることはあっても、海外などには出かけられる状況ではなく、日常生活は、仕事場と家の往復という状態だった。
母親の老いとともに、認知症の初期症状が出てきてからは、更に家での家事だったり、買い物だったりにより多くの時間を割かなければならないくなっていった。
母親の他界後、遺産相続(たいしてあるわけではなかったが)の手続きなどで、忙殺されることになったが、それが一段落したところで、久々にイタリアに言ってみようかなぁーと思い立った。
還暦を迎えたということもある。いつまで、海外へ行く体力があるのか、少しずつ先が見えてきた感じがするのだ。
そんなわけで、昨年は、1月初めから2月はじめにかけて、実に17年ぶりにイタリアの友人たちに会いに行ってきた。
僕がイタリアに行ったり来たりしていた頃のことは、先のブログに書いてあるので、興味のある方は読んでみてください。
長いブランクがあってのイタリア訪問だったので、言葉を忘れていないかとか、友人たちは、僕のことを覚えているだろうかとか、様々な不安がよぎったわけだが、とりあえず、行ってみないことには何も始まらないって思いで出かけることにした。その時の詳しい話は、おいおい書いていこうと思う。
行ってみれば、当初の不安などこちらの思い過ごしで、言葉も友人関係も、何ら問題なく、友人たちとの再会を果たすことができた。
調子に乗った僕は、昨年の10月にも、再度イタリアに行き、そして今年の5月もイタリアに行ってきた。
そんな状況の中で、見聞きし、得たことをやはり日本にも伝えたほうがいいのかなぁーという思いが徐々に強くなってきて、今回のブログ再開してみようと思ったのだ。
というわけで、実に久々のブログとなります。誰かしらの目にとまるのかなぁー。
まず最初に、このブログは、以前やっていたブログから引越ししての再開であるということだ。
以前のブログは、ここにまだ、残っている。
http://tady.seesaa.net/
今では、ツィッターもあるし、フェイスブックもあるし、日本ではLINEが、海外の友人たちとはWhatsappがあるので、何を今更ブログなのっていう思いもあるのだけれど、大量にアップロードされ、日々流れていってしまう情報形態よりも、ある程度簡易に、過去の情報まで見ることができるブログのほうが、僕には合っているのかなと思っている。
ネットに情報を発信するということは、なんらかの目的があって行うことだと思う。ネットを見る人たちの誰かしらに、見てもらえて、何らかの役に立つ情報を上げられればいいなぁーとは思っているが、ある意味、自己満足的なものでもあることは、否めない。だから、記事の内容も、更新頻度も、マイペースでやっていこうと思っている。
ブログっていうのが流行りだした頃、僕もブログを書いていたことがある。上にURLを載せたけど、そのサイトは、今もまだネット上に残っていて、それを見ると2005年6月に初めて、2011年11月まで書いていた。
ブログの更新を止めた理由は、東日本大震災と福島の原発事故にある。直接的な関わりがあったわけではないのだが、当時、災害のあまりの大きさに、無力感を抱いてしまい、どうでもいいようなことをブログに書き続けることになんとなく罪悪感を感じていたし、また、記事を書こうという意欲も無くなっていったという記憶がある。
同時にまた、これといった変化のない日常を過ごしており、記事にするネタが枯渇しつつあったことも理由の一つだと思う。
さて、再度ブログを書こうかなって気持ちになったのは、この間いろいろあって、自分の人生のひとつの節目を迎えたように感じるからだ。
父親が亡くなってから20年余り同居生活をしていた母親が一昨年に他界した。僕は独身なので、母親の面倒を見るのは、同居人の僕しかいなかったってことだ。
亡くなる前の一年ほどは、いわゆる介護退職ってやつで、仕事を止めて在宅介護を行なった。18年前、それほど重い後遺症は残らなかったものの、母親が脳梗塞で倒れたことをきっかけに、いずれ必要になると思い、介護のスキルを学ぶために、介護の仕事に転職したのだが、いざ、身内の介護を自宅で行うとなると、難しい局面もあり、全く悔いがないような介護ができたかというと、その逆で、ああしてあげればよかったとか、こうしておけばよかったのにとか、後悔の思いは残っている。
一方で、母親の死によって、解放されたという思いもある。母親が倒れてからは、仕事の夜勤で家を空けることはあっても、海外などには出かけられる状況ではなく、日常生活は、仕事場と家の往復という状態だった。
母親の老いとともに、認知症の初期症状が出てきてからは、更に家での家事だったり、買い物だったりにより多くの時間を割かなければならないくなっていった。
母親の他界後、遺産相続(たいしてあるわけではなかったが)の手続きなどで、忙殺されることになったが、それが一段落したところで、久々にイタリアに言ってみようかなぁーと思い立った。
還暦を迎えたということもある。いつまで、海外へ行く体力があるのか、少しずつ先が見えてきた感じがするのだ。
そんなわけで、昨年は、1月初めから2月はじめにかけて、実に17年ぶりにイタリアの友人たちに会いに行ってきた。
僕がイタリアに行ったり来たりしていた頃のことは、先のブログに書いてあるので、興味のある方は読んでみてください。
長いブランクがあってのイタリア訪問だったので、言葉を忘れていないかとか、友人たちは、僕のことを覚えているだろうかとか、様々な不安がよぎったわけだが、とりあえず、行ってみないことには何も始まらないって思いで出かけることにした。その時の詳しい話は、おいおい書いていこうと思う。
行ってみれば、当初の不安などこちらの思い過ごしで、言葉も友人関係も、何ら問題なく、友人たちとの再会を果たすことができた。
調子に乗った僕は、昨年の10月にも、再度イタリアに行き、そして今年の5月もイタリアに行ってきた。
そんな状況の中で、見聞きし、得たことをやはり日本にも伝えたほうがいいのかなぁーという思いが徐々に強くなってきて、今回のブログ再開してみようと思ったのだ。
というわけで、実に久々のブログとなります。誰かしらの目にとまるのかなぁー。
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