プエブラへ2020年02月08日 15:38


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トルーカの友人の家に世話になっていたのだが、そこの息子がプエブラに住んでいるってことで、プエブラにも行ってきた。
プエブラはメキシコシティーを挟んで、トルーカの反対側にある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%A9
周りを高い山に囲まれている標高2100メートルの街だ。中でもポポカテペトル山は、現在も火山活動が盛んで、僕の滞在中にも噴火があり、火山灰が周辺の街に降ったと報道されていた。
街は、ユネスコの歴史的世界遺産となっている。

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街の中心部ある模型を見ると、碁盤の目に区切られた美しい街並みがよくわかる。

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面白いのは、通りの名前で、街の中心であるソカロ広場を起点に、東西に走る通りの東側がオリエンテ通りで、1oriente 2 oriennteのように何番目かによって数字が振られている。反対側は=西側はポニエンテ通り。北側がノルテ通りで南側がスール通りとなる。街の設立が1531年ということなので、これだけでもびっくりする。
僕が行ったときは、10月12日のコロンブス・デーの週末にあたり、街の中心部に舞台が設置され、
周辺に住む様々な民族の踊りが披露されていた。ラテンアメリカでは、この日をDia de La Raza=民族の日を呼んでいる。
スペイン人による征服のきっかけをつくったコロンブスのアメリカ大陸発見を祝うというのは、僕にはなんとなく理解しがたいものがあったのだが、この後に訪れたトラスカラとチョルーラで、なんとなく納得できた。
現在のべラクスルに上陸したエルナン・コルテスは、現在のメキシコシティにあったアステカ帝国を征服するために内陸部へと侵攻していったわけだが、その途中で、ここトラスカラを通っている。トラスカラの民族は、対立するアステカを倒すためにコルテスと同盟を結んだそだ。、彼らにとっては、自らの民族を祝う祭日であっても問題はなさそうだ。実際僕が訪れた日曜日には、高校生たちが、それぞれの民族の踊りを広場で披露していた。自らの伝統であるスペイン征服前の民族の歴史を継承しようというのは良いことだと思うのだが、いかんせん高校生の年齢の子たちが、果たして本当はどう思っているのかはわからない。ちなみに、友人の息子とその恋人も一緒だったので、そのへんを聞いて見たら、学校の必修授業になっているので、否が応でもやらざるを得ないってことだった。

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次に訪れたのが、メキシコ最大のピラミッドが発見されたことで有名なチュルーラだ。現在は、ピラミッド自体は地中に埋もれており、その上に教会が建っている。でも、これはスペイン人が埋めたわけではなく、それ以前に巨大なピラミッドは放置され、埋まってしまったってことらしい。
ピラミッドのある一角に、こんな看板があった。

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500年 1519-2019 と大きく書いてある下には、LLA MATANZA DE CHOLULAと書いてある。
これは、虐殺500周年記念ってことだ。チョルーラの民族は、コルテスに対抗し、コルテスと同盟を結んだトラスカラの民族などと戦って、大虐殺があったのだそうだ。だから、ここでは、10月12日は民族の日ではなく、虐殺の日とされている。まあ、実際に虐殺が起こったのがいつかはしらないけれど、コロンブスがアメリカ大陸を発見しなかったら起こらなかったわけで、これも納得できる。

今回、気になったのは、以前僕がメキシコにいた頃にはなかった町の名前を立体的なアルファベットで表記しているものだった。これは、どこの街に行っても必ずあって、メキシコ政府自体が観光に力を入れている現れなのかしらんと思った。